ロンググッドバイ
私立探偵呼人の事件簿
2003.4月号
○月×日
2本立て
話題の『ボウリング・フォー・コロンバイン』『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』を観た。
『ボウリング・フォー〜』は監督のマイケル・ムーアがアカデミー賞で「くたばれ、ブッシュ!」とスピーチをして話題になったけど、“実録版”『グッド・フェローズ』って感じがした。つまり、音楽を分かってる監督が作った映画。『グッド・フェローズ』のエンディングは、シドヴィシャスの『マイウェイ』で、『ボウリング・フォー〜』は、ジョーイ・ラモーンの『what a wonderful wold』で、2つともパンクロッカーが歌うスタンダードを皮肉っぽく使ってる。
この映画を観て思ったのは、イラク戦争やテロやアメリカの社会を論じてる、日本のどの偉そうな評論家や言論人よりも、説得力があるという事だ。
アメリカの歴史、アメリカの銃社会の中で実際生きてる人じゃないと、やはりこんな映画は作れない。
アメリカの過去の政略(侵略だけど)の歴史を次々と映しだすシーンが一番インパクトがあったんだけど「結局あの中に日本も入ってたんだな」と思うと、ちょっと複雑だった。今のこの横文字が溢れかえってる様をみてると余計に。
『キャッチ・ミー〜』はまずオープニングが凄いカッコよかった!
でも、本編に入ると、そのスタイリッシュな雰囲気ではなく、ヒューマンに展開する。僕としてはあのオープニングのようなムードで押して欲しかった。でも、久々に観たディカプリオはすっかり大物俳優になってた。
昨夜は謙二、牟田君と飲んだ。
凄いテンション高かった訳でもないのに、飲み終わった後バテバテになるぐらい、小さな盛り上がりがずっと続いた(笑)。
その後、謙二と深夜までやってるカフェで夜食を食べた。
「笑う門には福来るじゃのう」という結論で店を後にした(笑)。最近は、なかなか外へ出歩かなくなってきてるけど、石垣のおじいさん、おばあさん達のパワーの源はやはり外へドンドン出掛けて楽しんでる事じゃないかな?
牟田君がよく言ってる名言を思い出した。
「疲れたら疲れるほど飲みにいく」!!
○月×日
八重山漫遊記
初の八重山だ。
今回のオフでのメインはこの旅になりそう。
パワーブックを持ってきたけど、案の定PHSの電波は入らず。しかし、日々日記を書き留める事にした。
初日。
朝早く石垣に着く。今日は石垣に泊まる事にした。しかし、事前に石垣の事を全く調べてなく、地図もなく、空港について困ったけど、タクシーのおじさんが「川平へ行った方がいい」と言い、何故か空港から川平湾に直行(笑)。ここではグラスボートという、船底に透明のアクリル板をつけて海底が見える船が名物らしく、早速乗る。いきなり、サンゴやウミヘビなどが現れ、眠気も覚めた!
ホテルに着き、海に行くわけでもなく、プールに向かい、今回の大目的『坂の上の雲』をプールサイドで読み始める。
しかし、何度も眠気が襲い、何度かうつらうつらしてしまった。それでもパラソルの下にいたから平気だと思っていたのだが、部屋に帰ってみると顔も足も真っ赤になってた(笑)。恐るべし紫外線!プールサイドでかかっていた音楽がまた良かったな。あれ誰だろう??
そして、その後市街に出掛けた。昭和風の街並み、その間に琉球風の民家が建っていて、驚いたのは、どの家も大体窓、玄関が全開(笑)。外から丸見え。で、縁側に近所の人が座って何か話をしてる。防犯、防犯の東京から来た僕には新鮮に映った。これも昭和の風景かな。
タクシーのおじさんに勧められて行った郷土料理の店で夕食を食べた。しかし、食べ終わった後に歩いた道々でもっと美味しそうな店がたくさんあった。チクショー、自分の感性で探せばよかったぜ(笑)。帰りに酒屋で「泡盛」をゲッチュ。金ヤンに「向こうで泡盛飲みまくってくるぜ」と豪語したので(「飲めないくせに」とたしなめられたが....)、「これ下さい!」とレジにドン!と置いた(但し、小瓶)。
そして、部屋に戻って10倍ぐらいに薄めて飲み、アッという間にまわり寝てしまった。
2日目。
朝起きて、船着き場へ。フェリーに乗って、離島へ向かう。
民宿に電話したら、港に迎えに来てくれるというので、待っていたら軽自動車に乗ってやってきたのはおじいさん!(後で分かったのだが、齢78 !)。民宿に着いたら、そこは本当にただの家。築100年は経ってそうな琉球民家だ。ここはおじいさんと同い年のおばあさんが二人でやってるみたい。
「夕食はみんなでこの部屋で6時に」「風呂は一個しかないので交代で」「朝は8時にまたこの部屋で」と言われ、「宿泊者と顔をつき合わせて食事なんて、高校の時のユースホステル以来かも」と思ってしまった。多少緊張するの巻(笑)。
民宿で借りた自転車に乗って島をブラブラするも、「そうだ今回の目的は砂浜に寝ころんでの読書だ」と思いだし、戻って本を取り出し、ビーチへ向かう。それにしても、こっちは真夏!暑い!砂浜に直に寝転ぶと焦げそうな暑さ。だから最初はタオルかぶって寝て曇りになると本を読んでた。しかし、それにも耐えられず帰ろうとしたら、貸パラソルがあることに気づく。借りにいったら「あと1時間で営業時間終わりです」と言われたが、借りてみた。さすが、パラソル!超ご機嫌!これで、明日からの過ごし方は決まった。
ほどなく、1時間が過ぎ、宿に戻って風呂に入り、夕食の時間がやってきた。今日は満室みたいで小さな部屋に人がいっぱいだった。しかも、座った席が岐阜からやって来たという女の子6人組に囲まれる形になり、「多少緊張」が「メチャ緊張」になり(笑)、終始無口で、アッという間に夕食を切り上げ、夕陽が落ちるのを眺める海岸へ飛び出してしまった。
歩いて、その岸壁へ向かったのだが、海が見えた瞬間ハッとしてしまった!
あまりにも美しく、真紅のような赤色だったからだ。岸壁に12倍に薄めた「泡盛」を持っていき、ちびちび飲みながら日が沈むのをのんびり眺めていた。寝ころんで、低く流れてゆく雲や、気持ちのいい風を感じ、ポツポツと現れ始めた星を見ながら、「こんなに立ち止まって、時間が過ぎるのを感じたのは何年ぶりだろう」と思った。子供の頃、日が暮れて辺りが真っ暗になって、友達と歩いた帰り道。夕方になって急に涼しくなる風、“昭和の原風景”というより、“日本の原風景”がココにはあって、今日本が失いつつあるもののような気がした。
ここも毎日くるな。
後、街灯が少ない。つまり街が夜になると真っ暗になるというのも、何か大切な気がした。日本の街をもっと暗くしよう(笑)!
しかし、八重山の日は長い。この季節なのに、7時半でもまだ少し明るい!
民宿に帰ったら、みんなを庭に集めて、おじいさんとおばあさんが二人で琉球の歌を歌い始めた!しかもおばあさんの声はメチャメチャ張りがあって、声が通ってる。やはり、長寿の秘訣は食べ物もあるが、一番は夜10時過ぎまでお酒を飲んで、陽気に庭で歌う精神と環境ではないかと思えた。
日本人が忘れた沢山のモノがココにはあるような気がする。
3日目。
朝8時に起きて、みんなで朝食。その後、部屋に戻って『坂の上の雲』を読み、庭でパワーブックに向かい、昼までを過ごす。アッという間に正午が来て、島内の店で“八重山そば”を食べ、昨日からの定位置のビーチへ(笑)。
で、パラソルを借り『坂の上』を読んでると、これまたアッという間に午後4時。初日は随分長く感じたけど、今日は1日が凄く早く過ぎてゆく。きっとこんな調子でこの旅も瞬く間に過ぎていきそう...。それにしても、意外に観光客が多いのに、驚く。
宿に戻って、昨日と同じくご飯を食べて、夕陽を見に海へ。風が気持ちいい。
そして夜はおじいさんとみんなで飲み会。しかし、宿泊者の殆どが東京や大阪から来た若者っていうのも不思議な感じがする。人口は数百人で、若者がどんどんいなくなる過疎化された島なのに、滞在してるのは殆どが若者。この夜はおじいさんの若い頃の話から、ハブの話(怖い!)、戦争から返還の話など色々聞いた。それにしても78歳なのに、耳も遠くなく、若者と同じレベルで話が出来てるのが凄い!
4日目。
アッという間に、離島最後の日がやってきた。
最初の日は他人も大勢いて、緊張したのか長く感じたのだが、それからはジェット機並みに過ぎてった。
正直な所、八重山の位置関係も分からないまま、ガイドブックも持って来なくてここまできた。だから、沖縄本島がここで、八重山がここで、久米島がここで、とか全然わかってなかった。だから宿にある地図を見て初めて「こんなに遠い場所にあったんだ」というのがわかった。
本島よりもぜんぜん西で、台湾が目の前!本島に行くより台湾に行った方が近いという事もわかった。戦前、まだ台湾が日本領の頃は八重山から多くの日本人が出稼ぎに行ってたらしい。水牛なども元々は台湾から入ってきたみたいだ。
そして『坂の上の雲』を読んでるうちに、日露戦争時、ロシアのバルチック艦隊がまさに、この八重山近辺を通過して、対馬辺りで日本軍と海戦したというのを読んで、あまりにもタイムリーなのと、...これはハワイに行った時も感じた事だけど、あの青い空、鮮やかな色の海と余りにも対照的な戦争というものが、すごく切ない感じがした。穏やかで気持ちのいい風が吹く中で、血みどろの戦いをした兵士達。グアムなんか特にそうだが、その屍の上にリゾート開発された土地。そこでバカンスを楽しむ人達。うまく表現できないけど、悲観でも楽観でもなく、僕は漠然と“詩”を感じるのだ。この余りにもの対比に。
毎日の日課のように、海へ出掛けて本を読んで、しかも今日は体を半分海に浸かって読んだ。これは気持ちヨカッタ!遠浅なので、波も穏やかだったし、体が熱くなれば少し海水を掛けてやればいい。そして、帰ってご飯の後、また夕陽。結局キレイに観れたのは初日だけだったけど、雰囲気もいいし、ここに来るだけで癒される。当然「泡盛」持参(笑)。ところで、司馬遼太郎もこの辺りに来てたらしい。僕が宿で『坂の上』を読んでたら宿の人が「司馬さん?『街道をゆく』じゃないんだ。珍しい。」って言われ、他の人も「私も『街道をゆく』を前に持ってきた」って言ってて、特に宿の人は「『街道をゆく』を読んで触発されて、ここに来る人も結構多い」との事だった。だからてっきり毎日司馬遼太郎を読んでる僕も『街道をゆく』を読んでると思ったんだろう。
夜は星を見に海の方へ歩いていった。当然辺りは真っ暗なんだけど、丁度満月だったので、ライトなしでも歩けた。
雲間から見える月も、やっぱり東京で見るより角度とか色が違ってるように思えた。「何だかもっともっとここにいたいなー」
そんな余韻を惜しむようにずっと夜風に当たっていた。
5日目。
八重山の旅も終わりに近づいた。
今日は、石垣に戻って、のんびりレンタカーを借りて過ごす事にした。
島を一周しようと思ったけど、途中にいい感じのカフェがあったので、ここで本を読む事にした。
ずっと読んでると、時間も経ってきて、このカフェでオムライスを食べた。久しぶりの洋食(笑)。
離島から帰ってくると、石垣でさえ俗っぽく思えるから不思議。まるで竜宮城から帰ってきたみたい。でもいきなり東京に帰るより、石垣でワンクッションあった方が帰った時の衝撃が少ないかも(笑)。かろうじて。とにかく、夜はホテルで野球を観たり、本を読んだりして過ごした。
最終日。
今日はレンタカーでゆっくり島を一周した。
一番端っこの灯台が、凄く良かった!何かオーストラリア?っていうぐらい雄大だった。
そして、いよいよ空港に向かい、この長い旅が終わろうとしていた。
今回のオフの中のハイライトがこの八重山だったんだけど、正直それほど大きな期待はしてなかった。大体からして地図もガイドも持って来なかったし。ハワイとかは世界情勢も考えて中止にしたから、なんとなく“暖かい”所にしたのが実情だった。
でも、この旅を終えて帰る為に空港へやってきて、レストランでコーヒーを飲みながら「あー、もっといたい」「またすぐに来たい」と、ハワイに行った時よりも名残惜しい気分になった。それは、多分この地方の町の雰囲気が、どこか懐しい、小さい頃に戻ったような感覚に陥ったからだろう。
そういうのはハワイにはないから、余計に良かったのかもしれない。日本が無くしてしまった“何か”がそこにはあった。
昔からの信条で、『旅と飯には金を惜しむな』っていうのがあって、どちらも終わってしまえば後には何も残らないんだけど、気持ちよく無くなるから、一番美しいお金の使い方だと思ってる。今回はそれを一番感じた旅になった。
○月×日
美しい国
先日、和歌山県の熊野へ行ってきた。
そもそも、きっかけはBSでやってた「熊野詣」を紹介する番組を見ていて「ここへ行きたい!」と直感的に思ったからだ。
戦国時代までは熊野神社に出かける人は、公家も民衆も沢山いて、蟻の行列のような様だった事から「蟻の熊野詣」と呼ばれてたらしい。しかし、熊野の知識も知らない僕は一応インターネットで調べて、プリントしたものの、まったく読まず(笑)、知識のないまま出かけた。
しかも、withパパとママ(笑)。
名古屋から紀勢線という線に乗り、それはしかもディーゼル!なんだけど、それに乗ること3時間!紀伊半島を舐めていた(笑)。でかい!というのも、結局乗車券も親に取って任せたので(情けない息子...)、所要時間についてもまったく分かってなかったのだ。
新宮という駅に着き、そこからバスで熊野川上るように1時間。
まず驚いたのが、熊野川の美しさ!
既にその時点でやられてしまった。ただ綺麗というだけじゃなく、その形状やその周りの山も計算されたかのような美しさ。そして、怖いほど澄んだ青色の川の透明度。太古の昔から流れてきてるような神々しい雰囲気。今まで見てきたどの川とも違うものだった。
河原の広さも凄くて、白い石が両岸を広く覆っていて、まるで日本庭園のような感じだったな。
初日は熊野本宮の近くの温泉に泊まった。その温泉もいわゆる温泉街のような雰囲気はまったくなく、殆どが小さな旅館か、民宿。温泉の質もかなり良くて、これまた驚き。穴場!ご飯も熊野灘でとれた魚に、猪の肉と贅沢。そして、朝ご飯に出た温泉お粥が一番美味しかった!
そして、次の日の朝、いよいよ「熊野古道」を歩いての熊野詣。
「熊野古道」というのは、物凄く沢山あって、京都や伊勢、大阪、田辺、色んな場所から熊野を目指す道で、何日も掛けて歩く人もいれば、簡単なコースをハイキングで歩く人(恐らくこれが一番多いと思う)、様々だろう。オレ達は「大日越」という、大日山を越える簡単なコースを歩くことにした。
なんたって、最終のバスが午後3時だから(笑)。
「道」といっても、はっきり言って単なる山道。舗装も何もしてない只の道で、所々木の枝が階段代わりになってたり、ちゃんと材木を階段にしてる所もある。しかし、「こんな道をお公家さん達が通ったの?」っていうぐらいの傾斜の山道だった。
途中、何度か休憩したんだけど、そこで味わう静寂が何とも贅沢な気分だったし、鳥の鳴き声も気持ちヨカッタ。遠くに見える峰、木の下に落ちてる木の葉、倒れてる巨木、すごくキレイに真っ直ぐ伸びてる木々。「オレ達は美しい国に住んでるんだな」って思った。
たった、1時間程度の道のりなのに、オレだけ膝がガクガク笑ってた。とーちゃんはヘッチャラっぽかった。
軽く熊野本宮へ立ち寄って、またバスに乗って(2時間!)田辺に着いてそこから大阪へ出て、イトコの家にお邪魔させてもらい、翌日イトコのチサちゃんと彼女の息子、コウちゃんと篠山にお蕎麦を食べて、お茶をして夜遅く新大阪を出て、今回の短い旅は終わった。
今回の度で強烈に印象的だったのは、水!
昔、ライシャワーが「日本ほど豊かな水を持つ国は他にない」書いてたらしいけど、本当にそう思った。
最初、新宮から熊野川に沿って上る時も凄い水の量だったけど、今度熊野本宮から田辺に向かう時、今度は富田川という川がまたまた凄い量だった。そして、川の向きが下る方向へ変わっていた。つまり、何処かを頂点に一つは新宮へ向かって右へ、もう一つは田辺に向かって左に流れているのだ。
そして、和歌山あたりでは紀ノ川という、これまたデカイ川が流れ、大阪には淀川が流れ、イトコの家の近くには武庫川が流れ、最初の名古屋でも、木曽川が流れていた。当たり前だと思って過ごしてきたけど、日本の土地の大きさを考えると凄い水の量だと思う。
そして、今まで全く未知の紀伊半島だけでもこんなにもこんなにも沢山川が流れている。
先人達が無作為に神の社を建てていったのだろうか?それとも何か特別なものがあるからなんだろうか?という疑問もここへやってくると分かる。ここには何か特別なムードがある。僕は無宗教だけど、今まで行った出雲大社や、伊勢神宮、特にその周りの山々の雰囲気に「神々しさ」を感じていたのだが、今回の熊野にもそれを感じた。そんな事よりも、「日本人よ、見てくれ!オレ達の国はこんなにも美しいんだぜ!」という誇りを感じると同時に、振りかえれば、どこもかしこも西洋化された今の日本と日本人の姿を、昔の日本人達はどういう顔をして見てるんだろうと思ってしまった。
というのも、同時に読み始めた『坂の上の雲』の影響も多分にあると思う。
○月×日
小田さん
小学生から、中学生になる頃、何かに“目覚め”ようとしてた僕は、色んなモノに興味を持ち始めた。
例えば、カメラ。例えば、ラジオ。例えばオーディオ。
中でも、ラジオはお金が掛からなかったので一番興味を持った。そして当時出ていた『週間FM』『FMレコパル』『FMステーション』などを買っては、番組をチェックしてカセットに録音してた(エアチェックといいます)。しばらくして『週間FM』の愛読者になり、テレビのアイドルなど絶対出ないアーティストがたくさん出ていて、色んなジャンルの新譜が紹介されていて、中学生の僕は大人の仲間入りをした気分になった。
その頃、一番人気があったのがオフコースで、まったくテレビに出ていない彼らが唯一出たNHKの『若い広場』という番組を観て、僕はかなり衝撃を受けたし、『週間エフエム』の読者コーナーでもその話題で持ちきりだった。そして、その番組でレコーディングしていた『OVER』というアルバムは予約して買った。とにかく、来る日も来る日もそのアルバム、そしてその後買った『セレクション』というベストアルバムを聴いてた。
そして、オフコースが広島にやってくるのを『週間エフエム』で知った僕は、生まれて初めてコンサートの取る為の電話を掛けた。電話の向こうで女の人が事務的な声でと言った。チケットが買えないって事があるいう事も知らなかったから、この事件はデカかった(笑)!
“オフコースのコンサートにはいけない”という事は“オマエはもうこっちへくるな”と宣言されたような気分になり、その後のツアーは電話すらしなかった。しかし、その後福山に来たフィルムコンサートには行くことになる。
オフコースはその後『Thank you』というアルバムを出して、頂点を極めると同時に鈴木さんが辞めて4人なった。
『週間エフエム』には各ページの隅に読者からの一言メッセージが載っていて、当時は「小田さん」「小田さん」の文字が飛び交っていた。
やがてそこに「清志郎」という文字が出てくるようになる。小田さんとは違う、中学生にしてはまだ覗いちゃいけないような危険なムード(笑)。多感で移り気な中学生の少年はやがて、その危険なムードの中へと入っていくのだが。“好きな音楽”“好きなジャンル”もまだ確立されてない時期だったっていうのもあるけど、やはり「チケットは完売です」のあの一言はでかかったと思う(笑)。
しかし、『OVER』はたくさん聴いたし、今の僕の音に関しての原点になってるかもしれない。
同時期に興味を持ち始めたオーディオでも、『OVER』をかけては色んな事を試した。スピーカーの下にブロックを置いてみたり、レコード針を変えてみたり。僕にとっての“いい音”=“『OVER』”っていうのはあるかもしれない。
その小田さんと対談をした!
清志郎さんよりも前に聴いてた人だ。ポスターも持ってた!勿論『OVER』も持ってきた(笑)。
考えてみれば、僕の世代はいい時代に思春期を送ってる!
オフコース、RCサクセション、大滝詠一さん、山下達郎、ユーミン、憂歌団、友部さん、そんな人達が上質のアルバムを年中出してくれたんだから。あの頃あった、エフエム雑誌もまったくなくなってしまった。音楽を発信する媒体も少なくなってきてる。
でも、小田さんには「懐かしさ」とか、「憧れてました」というよりも、「この人、現役バリバリだ!」というパワーを感じた。そして、緊張してる僕に気を使ってくれ、いっぱいしゃべってくれた。最後にしゃっかり『OVER』にサインももらった!!!
○月×日
オフ前哨戦
今日はさっそく「ゆっくりランチ」をしに出かけた。
贅沢な時間の使い方をしようと思ってたのに、出る料理、出る料理バクついてしまったもんだから、結局「詰め込みランチ」になってしまった。う〜ん、食欲は恐ろしい....。しかし、柔らかい日差しの下でのランチは久しぶりで、しかも美味しかった!
そして、昨日は密かに(?)サッカーをした。
何故辛口ロングがないかというと、金ヤン曰く「今日は何も書く事がない!」と嘆くほど、ボロボロだったから(笑)。
金ヤンも久々だったし、人数も揃わないし、強力助っ人もいないし、どうにも志気が上がらなかった!
しかも!オレが持った時に金ヤンが「こっちにパス!」って言って、慌て過ぎたオレがヘナチョコパスを出して、相手に取られた時の金ヤンの情けながる顔!!!次に今度はオレが超絶妙なスルーパスを金ヤンに通したら、今度は金ヤンがヘナチョコトラップで相手に取られる(笑)。
ハーフタイムの時「ホンット噛み合わないね、オレ達」と言い合った(笑)。
それでも、さすが金ヤン。唯一の得点を華麗なヘディングシュートで決めてしまった......。さすが、セルジオ。
その後、St.Cry Babyに行って、またまたマスタリングエンジニアの原田さんに来てもらい、サウンドチェックをした。
このオフに色々音を改善しようと思って、スピーカースタンドを作ったり、吸音をしたりする為のアイデアを出し合った。そんで最近僕が導入した石のブロック、秋葉原などで購入したんだけど(笑)、それをスピーカーや、アンプの下に敷いたのを原田さんが褒めてくれて「これはいいね。段々ここの音が良くなってきてるね」と言ってくれた。すっかりスタジオオタク化してきたな、オレ.....。
そして!10年ぐらい前に清水の舞台から飛び降りる気持ちで大枚はたいて買ったスチューダーのCDプレーヤーがあって、随分前に故障してずっとスタジオの隅に眠ってたんだけど(なぜなら修理代も清水の舞台並みに高い!)、修理代も当時に比べて安くなったのと、修理して売りに行こうと思い、数年振りに直して復活を遂げた!で、原田さんに「これ売ろうと思ってるんっすよ」って言いながら、今スタジオにあるCDプレーヤーと聴き比べてしてたら「絶対売っちゃダメ!」って怒られて(笑)、「このプレーヤーはもう売ってないし、マスターテープの音に限りなく近い。宝物だよ!ダメだよ!」って言われた。
確かに、本当に音はメチャメチャ良くて、ずっと聴いていたくなるようなアナログっぽい音。
そのプレーヤーを聴いたら、他のは聴けない!ってぐらい音楽的な音をしてて、久々にCDというメディアに愛着を持てる気分になった。
だって、最近コピーコントロールとか、もう音楽をダメにする要素ばっかで、CDには何の希望も期待もなかったからね。
原田さん!分かりました!不肖寺岡呼人、売りません!(暫くは...)