ロンググッドバイ
私立探偵呼人の事件簿
1998.12月号
○月×日
The End of 1998
オレは昭和43年生まれだ。
つまり1968年。今年で30才。昔、『戦争を知らない子供たち』みたいな曲があったが、正にその時代に生まれた。生まれたときには白黒だったけどテレビもあった。でもこの30年を逆にさかのぼると昭和13年。同じ30年でもこの差は大きい。
オレが生まれるたった20年前はこの国は戦争をしていたのだ。オレ達のおじいさん達は銃を持って人を撃っていたんだ。例えばドイツではもっとあの戦争が今の時代の子供達にも自然と「事実」として受け継がれていってるのに、オレ達の国はそのかけらでさえも伝わってこない。
この間テレビで今の小、中学生のアンケートで「夢はあるか?」の問いに「ない」って殆どの人が答えたって言ってた。どうしてこれだけ戦争もなく、徴兵制度もなく、外国にも行けて、ビデオも持ってて、各部屋にテレビが置いてあって、夜遊びもできて、アルバイトも選べるような時代に生きてて「夢がない」って答えるんだ?
それは日本が今までの歴史を隠して、隠してきたからだと思う。うわべの経済成長、うわべの「一億中流階級」のツケがきてるんだ。
モンペ履いて、竹やり持ってた女の人たちのなれの果てが髪を真っ白にして、ルーズソックスを履いたコギャルだ。「夢がない」っていうより「何処に行けばいいのかわからない」のだろう。
○月×日
石原裕次郎
去年一人で小樽に行った時、唯一後悔したのが『石原裕次郎記念館』に行けなかった事。
石原裕次郎。
この名前を聞くだけで胸を踊らせた人が昔、大勢いた。オレにとっての裕次郎のイメージはは『太陽にほえろ』の全然アクションしない、座ってるだけの太った顔の黒い中年だった。「いったいこの人の何処に魅力があるんだ?」って思ってた。
裕次郎がデビューした昭和30年初期は戦争が終わってまだ10年ほどしか経っていない。きっとまだ復興してない街もいっぱいあっただろうし、沖縄はアメリカの土地だったし、夢も希望も見いだせなかった時代だ。
今と違ってテレビは家にない、唯一の娯楽は映画館に足を運ぶ事だった。信じられないけど、オレの田舎の近所にも映画館があった(ニューシネマパラダイスのように看板だけ残ってる)。
そんな時代にあの若き日の裕次郎がスクリーンにやってきたのだ。これは、想像を絶する(いやそれ以上の)輝かしさだったに違いない。今、どんなに凄いスポーツ選手がいても、どんなにかわいいアイドルが出てきても、この現象は越えられないだろう。今は外国にも行ける、スキーもできる、ヘタすると宇宙にも行ける時代だ。人間の欲のベクトルが全く違う方向に向いてる。
戦後復興、経済成長に比例するように、裕次郎はその役目を終え、七曲署のイスに座る事以外する事がなくなったのかもしれない。
日本人にとっての裕次郎。彼は今の日本をどんな風に天国から見てるのかな?
○月×日
お笑い芸人
お笑い芸人っていう職業ってどういうものなんだろう?今ネプチューンと仕事してるけど、もしオレがお笑い芸人になってたらとてもじゃないけど、続かなかったと思う。何て言うか「笑い」を「職業」にするっていう事は本当に大変だと思うからだ。今テレビを見たら多くのお笑いの人達が出てるけど、面白いのって数えるぐらい。「ダウンタウン」「ナイナイ」「ダチョウ」そして「ネプチューン」ぐらいだもんな。音楽やってる人達もそうだけど、仕事に陶酔できる人が少ないような気がする。見てて「この人はホンモノ」って感じる人は一発でわかる。人を笑わせて金を稼ぐっていうのは大変だ。テレビ局などまで追っかけて来るようなギャルならまだしも、何十年も生きてきた大の大人を笑わせるのは大変なことだ。しかも飽きられやすいこの国だ。新しいものにすぐに飛びつく奴ばっかだからな。
でも「お笑い」にせよ「ミュージシャン」にせよ、おじいさんになった時にかっこいい枯れた男になっていたいな。孫か何かに「おじいちゃんはね、お笑い芸人だったんだよ」って誇れるような男に。なれるかな...........。
○月×日
足裏マッサージ
足裏マッサージに行きたい!ここんとこの疲れがたまって体力がかなり低下してる。台湾って行ったことないけど、足の裏を刺激して体調を整えるなんてよく考えたものだ。あと、最近はまぁまぁだけど、店員がみんな一生懸命だ。日本人も昔はこうだったのかなーって思うぐらいだ。
○月×日
クリスマスin Studio
今日もスタジオにいる。原宿あたりではイルミネーションに人が群がってる事だろう。ここ何年かはあまりスタジオにも入らなかったので、このギャップが少々キツイ......。でもま、好きな事をやってるわけだからいいんだけど。でもスタジオもあまり長くやってると集中力が欠けてくると思うので気をつけないと。よく自分のスタジオを作りたいって思うけど、結構ダラダラとして集中できないかもしれない。こうなるとやっぱしスタジオは通うものだと思ってしまう。コーヒーは入れてくれるし、掃除もしてあるし、音もいいし。あとは安ければ最高なのに...。日本のスタジオは世界一高いっていうけど、これは作品のクオリティーにも関係するから重要だ。あと最近、ビデオの編集スタジオもバカ高い事を知った。もっとマックなんかで中学生ぐらいからみんなが自由にビデオを編集できたりするとクリエイターの質が上がると思うんだけどな。
○月×日
2400/320
マイパワーブック2400を更にチューンアップした。G3カードの速度は速くなってしかも温度が下がった。これは大変重要な事で、2400は使ってると本体が熱くなる事で有名で平気で80℃ぐらい、いっちゃうのだ。でフンパツして買った翌日マックのネットを見てたら「ニューパワーブック」の情報が......。これがiMACと同じ半透明だとか、軽いとか、安いとか書いてあってちょっと呆然。「来年まで我慢すれば良かった」って一瞬思った。オレはとにかく軽いパワーブックが欲しいのだ。
地方に持っていくとき重いと大変。でも2400はきっと名機として残るだろうし、昔は平気でマックに100万円ほど投資してはすぐニューモデルが出てた訳だから、「ま、いいか」って思い直した。その半透明のマックがメチャメチャ良いとは限んないしね。しかし何で世の中ウィンドウズユーザーが多いのかな?オレは音楽に使ってるから最初から選択肢は1つだけだったけど、どう考えてもマックの方がかわいいし、持ってても飽きないし、大事にしたくなる。ウィンドウズはデザインが最悪に近い。最近の縦型の奴はまだ許せるけど、なんか愛を感じないんだよな、あれは.......。でもその内マックは消滅してウィンドウズがスタンダードになるのかもしれない。ベータとVHSのように。でも今のコンピューターはまだまだ遅すぎ。きっともう5年もすれば今のマックは「化石」と思われるほど速くなってるはずだ。
○月×日
GOD
昨日の日記。かなりネガティブだというメール等々をもらった。オレとしてはジョンの『GOD』のマネなんだけど......。
ま、いいや。今日もレコーディングをしてきた。何かずっとスタジオにいると時間があっという間に過ぎる。12時間なんて2時間ぐらいに感じる。やばいな。あと気をつけないといけないのが、寝るクセがついちゃうともうずっと眠くなる事だ。これはスピーカーから音が出た瞬間、眠気が襲ってくる。昔からスタジオで寝てる人をいっぱい見てきて、それだけはやめようと思ってたからゆずなんかの現場でも寝た事は1回もない(ただその分遅刻が.......)。年内に色んな作業が片ずくといいんだけどな。
○月×日
『胸いっぱいの愛を』
僕ほどイヤな奴はいないかもしれない。
僕ほど退屈な奴はいないかもしれない。
僕ほど卑怯な奴はいないかもしれない。
僕ほど計算高い奴はいないかもしれない。
僕ほど知らんぷりな奴はいないかもしれない。
僕ほど調子のいい奴はいないかもしれない。
僕ほどエコヒイキする奴はいないかもしれない。
僕ほどズルイ奴はいないかもしれない。
僕ほど悲しい奴はいないかもしれない。
でも歌を作ること、歌をうたう事でどんなに癒されてる事だろう。
胸いっぱいの愛を、求めながら、与えながら、生きていきたい。
○月×日
『生きる』
来年の正月にはどんな映画を観て過ごそうかな、って思ってたけど、やはり黒澤の『生きる』じゃないかな。勿論彼が今年亡くなったから「生きる」なんだけど、今一番大切な言葉のような気がする。「生きる」って意味を感じなきゃいけない時代なんだと思う。
黒澤は40年も前にそれを世に問っていた。やっぱり凄い人だ。映画に出てくる流行歌『ゴンドラの唄』のフレーズ「命短し恋せよ乙女〜」はすべての人間に向けた黒澤のメッセージなんだ。
○月×日
クリスマスソング
今までずっと待ってたよ 春も秋もずっと銀の鐘が鳴る音を
冬はみんなに 最高に幸せな季節を運んでくれる
栗をオーブンファイヤーであぶれば 寒さが鼻先に突きささる
クリスマスキャロルが聖歌隊に歌われ みんなはまるでエスキモ−みたい
みんな七面鳥やヤキドリが この季節を素敵にすることを知ってるから
おちびちゃんたちは瞳を輝かせたまま 今夜は眠れなくなりそうだね
ソリいっぱいにおもちゃを積んで サンタが向かってるのをみんな知ってるから
どんな子もトナカナイが本当に飛び方を知ってるのかを 覗き見たがる
だから僕はこの単純な言葉を 1歳から92歳までの子供達に贈りたい
以前から何回もいろんな言い方をされてきたけど............「メリ−クリスマスをあなたへ」と
○月×日
帰ってきたヨッパライ
今日長崎、福岡キャンペーンから帰ってきた。ホントによく飲んだ。カーナビ曰く「こんなに飲んだのを見たのは初めて」。でも何だかんだ言っても東京は落ち着くな。帰って風呂に入ったり、洗濯したりして少し休んだ後、今をときめくスガシカオさんのラジオに出た。オレは基本人見知りなので、打ち合わせの時も殆どしゃべられなかった。しかし天性のエンターテイナー呼人は本番、やっちゃいました。ちょっとシャベリ過ぎ?スガさんもちょっと引き気味だったかも。しかし1/19のクワトロライブを何度もインフォメーションしてくれて、優しい人だった。スガさん、どうもありがとう!!!
○月×日
NAGASAKI BLUES
あー気持ち悪い。昨日はここ数年で一番飲んだかも。もう2年半も担当させてもらってるFM長崎の番組『らぢお版/寺岡社中風雲記』の初の生放送を昨日やった。数々のラジオ局に行ってるけど、今回もやはり僕の中の“日本一のラジオ局”のイメージは変わらなかった。好きだな。オレの中のエフエムって、AMにはない「静けさ」とか「安心感」みたいなものがあって、それに選曲のセンスがいいっていうイメージがあった。でもここ最近のエフエムはとにかくウルサくて品がなく、聴いてると疲れる。車の中でもエフエムはすっかり聴かなくなった。確かに昔と違って今はレンタル屋も充実していて、エフエムに求めるのはエアーチェックや選曲ではなく「愉しさ」とか「エンターテイメント」かもしれない。でも昨日一日エフエム長崎にいてモニターから聞こえてくるDJの雰囲気や選曲のセンスはオレの「エフエム」のイメージそのものだった。是非こんな局がもっと増えていって欲しい。そうするとリスナーの耳も肥えていって僕等作る側のセンスも、もっともっと磨かれて行くんじゃないかな。じゃないと音楽が「子供だましのモンキービジネスby RCサクセション」に毒されてしまう。
ラジオの後、打ち上げに行った店が美味しかった!!こんなに美味しい料理は久しぶりだった。その後昨日のサッカーの疲れもあって酔いながら死の淵をさまよって飲みに飲んだのであった。
○月×日
LOVE/フットボール
ついに念願の名波、鈴木、服部、清水(間違えてました!)ジュビロ4人衆とのサッカーが実現!!
しかし、凄い!本当に凄い!上手い!当たり前なんだけど。もう魅せられっぱなしだった。うーん、わかるかなーこの気持ち。名波からこのオレに、このド素人のオレに、松高サッカー部途中退部のオレにパスがくる。ワンツーがある。試合は当然勝った。
しかし、その情況を楽しむ前に体がついて行かず、おまけにまたまた足がツっちゃった。悔しかったー。体をもっと鍛えなきゃ。
○月×日
師走
上京してきて初めての大晦日は上野の「アメ横」に行った。すごい人の数に圧倒されたけど、これが「東京の大晦日か」って感じだった。その時は「毎年来るぞ」と思ったけど、あれから12年も行ってない。大晦日にはライブがあったり、実家に帰ったりしてて、上野まで行く気力がなかった。でも江戸時代からずっとあんな感じで威勢のいい人達が大声をはりあげて色んなモノを売ってたんだろうな。よっぽどヘタな地方都市よりも人情がある。今年も行けそうにないけど、行ってみたいな。
年内は明日から長崎、福岡キャンペーン。あとはネプチューン曲の制作。残念だけどゆずのPVは今回はできなかった。でも、ここいらでPVは引退かな?っていうか潮時?やっぱプロの人の映像っていうのは違うからね。明日からもパワーブックを持って行こう。謙二と詞のやりとりをしなきゃ。あー楽しい!さて、今日はこれからサッカーに行くぞ。
○月×日
ボブディラン
24才。
このアルバートホールのコンサートの時、ディランは24才だった。いくら時代の流れがあったとはいえ、この歌は凄すぎる。ジョンも影響されるはずだよ。『ジョンレノンアンソロジー』に続きやっと手にいれた『ボブディラン1966/ロイヤルアルバートホール』。びっくりしたのは音がいい事。やっぱハーモニカが素晴らしい事。そしてザ.バンドの演奏が何よりもカッコイイ事だ。面白いのは、当時エレクトリックサウンドに転向したてのディランに対して反対してる客が手を叩いてディランのしゃべりを邪魔したり、途中で帰ったりしてる事(ゆずも60年代だったらこうだった?)。そして極めつけは『ライクアローリングストーン』をやる前に客が「ユダ(裏切り者)!」と叫んだのに対してディランが「ユーライヤー(おまえはうそつき)!」と言い返す所!!
ものすごい緊張感走る中で始まった『ライクアローリングストーン』。ディランもザ.バンドの演奏も殺気立ってすごい迫力なのだ。
あの時まだ24才だったディラン。あれから32年たった今も歌ってるディラン(去年は見に行った)。正に「転がる石のように」音楽を続けてる姿にオレはリスペクトしていきたい。ほんの少しでも...........。
○月×日
福山ブラザーズ
今何と謙二と2人で曲を書いてる。一応ネプチューン用だけど、一緒にアレンジ何か考えたりしてかなり面白い。ジョンとポールみたいにギター持って向き合って、何だかんだ言いながら書いてるんだけど、新鮮なんだな、これが。『She loves you』も『I wanna hold your hands』も『From me to you』もきっと2人でスタジオの隅かどっかで10分ぐらいで作ってみんなで合わせたに違いない。音楽ってそういうモノなんじゃないかな。モーツァルトもきっとほとんど10分ぐらいで一気に書いたと思う。ま、とにかく曲作りが楽しいっていうのは最高だ。ひょっとしたら「謙二/呼人」が「ゴフィン/キング」や「ジョン/ポール」みたいに売れっ子作家チームになったりして......。普段はキーボードを中心に和音とかメロディーとかに気をつけながら曲を書いてるけど、謙二とはギターを弾きながら作るからやっぱギターサウンドがメインの曲になる。これがまたいいんだな。我ら福山チームが織りなす『備後サウンド』が天下をとる日は近い??
○月×日
『Viewsic Recommends』
オレの作ったクリップ『胸いっぱいの愛を』がviewsicの12月のヘビーローテーション『viewsic recommends』(通称『VR』)に決定した。何か本職とは違う分野で認められたのは素直に嬉しい。これはもはや「スカイパーフェクTV」に入らないとダメだな。
しかし今回のビデオは正直自信がなかった。っていうのもオレの手法は元々素材をいっぱい撮って、それをバーって繋げていくもの。それを今回は無理に16mmにしたものだから素材がスタジオでのオレだけっていう非常に客観的になれない素材だったので、編集しながら「これでいいのかな?」とか「オレのアップ少なくしようかな」とか「オレの映ってないシーンは他にもうないかな?」とか、そんな感じだった。前だったら「ここに風景入れよう」とか「この彼女の表情いいな」って客観視できるものがいっぱいあったんだけど、今回はいきなりストレートなビデオにする以外なかったのだ。でも評判はなかなか良かったし、実家からも「今までの中ではダントツ!」というお墨付きをもらっていたので(笑)、今回の決定は素直に嬉しかった。
○月×日
KOBE
神戸といえばユーミンの名曲『KOBE GIRL』を思い出す。今日は神戸の南京街に行ってランチを食べ、アーケード街で衝動買いでミニギターを2本も買ってしまった(計3本!)。その後はKISS FMに出て、東京に戻ってきた。さーよく食べよく寝たキャンペーンも来週の九州を残すのみ(名古屋は残念ながら今回はいけません.....)。長崎の「SMILE FM」のレギュラーはもう2年近くもやらせてもらってるのだが、生放送は実は今回が初めて。嬉しい!!!長崎の人、是非ファックス下さい!。時間があったらまた柳川にも行きたいな。
○月×日
今年もやってきた12.8
いよいよ明日は帰京。長かったような短かったような。今日はジョンレノンが死んだ日。そして太平洋戦争が始まった日。ジョンは1980年に死んだからもし生きてたら今年で58才。やはり「もし生きてたら」っていう「If」が彼には当てはまらないような気がする。何か導かれるようにして人生を駆け抜けたんじゃないかな?振り返ると『ロンググットバイ』もこんなに続いてる。日記なんて全然続かなかったオレが......。まだ一回も読み返した事がないけど、大晦日あたりに今年の『ロンググットバイ』を読み返してみようかな。あとトルストイの『戦争と平和』って面白いのかな?何か読んでみたいな。たしか映画もあったような気がする。明日は神戸も行くから豚マン食べようっと。しかし「喰っちゃ寝、喰っちゃ寝」のキャンペーンだった。
○月×日
大阪入り
「大阪の海は〜悲しい色やね〜」ってことでやってまいりました、大阪。
しかし「ゆるい!」ここ数日のキャンペーンは「ゆるい!」。毎日昼まで寝て、美味しいものを食べて、まるでオレは高等遊民だ。ま、レコーディングも結構ハードだったし、ご褒美にはちょうどいいかな?とは思ってんだけど。ってことで今日も寝坊で小樽には行けなかった。悔しい。で、これまた初の関西国際空港に向けて札幌を後にした。グッバイサッポロ。また来るぜ!
今日は大阪に着いたのが9時ぐらいだったので、とりあえず心斎橋でたこ焼きを食べようって事になり、あの「ひっかけ橋」を歩いてたら何処かで聴いた歌が「この長い長い〜」そう、ゆずの曲を橋の上で数人の弾き語りの人達が歌っていたのだ。大阪でのゆず人気を思い知らされました!!!で、餃子を食べて三角公園あたりで飲んで今日はホテルに戻ってきた。明日からはまたキャンペーンの日々だ。
○月×日
ハイテンションデイズ in 札幌2日目
デジカメを駆使してキャンペーン珍道中を作ってみました。
今日は昼過ぎまで寝て、起きてテレビでコンサドーレの試合を観た。応援してたけど、はっきり言ってあれじゃ負けてもしょうがない。技術の前のメンタルの部分で既に負けてたような気がする。とは言っても来季は何と岡田監督(あんたは男だ岡ちゃん!)が就任するらしいし、これで本気でやって再来年はJリーグに戻ってきて欲しいものだ。その試合を観た後、カワナベと平山君と3人で有名なラーメン屋『純連』に行った。その後「ジャスマックプラザ」に行って温泉に入り、夕食をジンギスカンっていうかなりのフルコースの一日だった。明日は大阪に移動。その前にカワナベと小樽に行こうかと思ってる。去年以来2回目。あー小樽に住みたい。不動産屋さんにでも入ってみようかな?いつか小樽で何か飲み屋か喫茶店を開いたらみんな来てくれるかな。
○月×日
ハイテンションデイズ in 札幌
今日の朝4時までレコーディングをしていて、帰って少し寝て朝8時過ぎの飛行機でやってきました札幌。
去年一人旅で小樽に行って以来の来訪である。あまり寝てないっちゅうのもあったけど、今日はかなりのハイテンションでキャンペーンをこなしていった。「Air-G」や「North wave」の他、雑誌などの取材も受けて最後はテレビ。なんとタイトルが『Zeppelin〜ツェッペリン』。まさに『胸いっぱいの愛を』ではないか!!北海道のみなさん、12/11放送なので見てね。『最新情報』のコーナーで「キャンペーン珍道中」をなるべくお送りしたいんだけど、今日はもうグロッキー。明日にしまーす。
○月×日
ゆずのオールナイトニッポン
今日はTVKの『ミュージッククリーク』の収録があって、ゆずのスタジオに行って、それからゆずのオールナイトニッポンに出るという目まぐるしい一日だった。
まず『ミュージッククリーク』は久しぶりにレピッシュのマグミくんに会った。いつまでたっても若くてカッコイイ人だった。でもちゃんと話したのは初めてに近かった。何といってもカッコイイから近づけなかったのだ。
そんでスタジオ。今日は2人はいなくて、オレだけでストリングス入れに望んだ。いつも弦を頼んでるチェロの阿部さんは「息子がゆずのファンでライブに行きたいって言ってんだよ」って嬉しそうに話してくれた。そう『からっぽ』も阿部さんチームのストリングスなのだ。
仕上げに『ゆずのオールナイトニッポン』。スタジオがギリギリまであって大変だったが、何とか間に合った。2人ともテンション高かったねー。ゲストが終わってスタッフの是澤くんから電話があって「ラジオで聴くと改めて『胸いっぱいの愛を』はロックでカッコ良かったですよ」って言ってた。それが何よりも嬉しかった。是澤くんと組んで初めての曲だったから.....。レコーディングの前に話をして「ガツーンとカッコイイもの」を作ろうって事が成功したんだなって確信できた。
さて、明日から札幌キャンペーンだ。パワーブックを持っていって、毎日アップできるようにがんばるぞ!!
○月×日
我が青春の憂歌団
憂歌団が解散するらしい......
高校一年の時、初めて憂歌団をみた。楽器屋のレンタルホールでオレはケースケと2人で前の方で見た。あまりにものカッコよさに終わってもボー然として、なかなか帰れないで楽器屋の前をウロウロしてたら何と4人が出てきた。オレとケースケはおもわず「サインしてください!」と木村さんにカバンにサインをしてもらい、一緒に写真を撮ってもらった。
そして福山駅までの道を彼らが歩いて(!)帰ってたのでずっと一緒について行った。そして新幹線のホームに消える彼らを見送った時(島田さんは何とこっちへ会釈をしてくれた)、「オレもこんな風に音楽で生きていきたい」って心から思ったのだった。
あの夜がなかったら、今のオレはなかったと思う。
そして運命の巡り合わせか、オレもこの音楽の世界へ入った。デビュー後、初めて行ったライブでの楽屋で会った時の事、花岡さんと対談して親しくなって、よく家に泊まりに来てくれた事、神戸の新春セッションに呼ばれた時の事、そして憂歌団のライブで客で行ったのに、いきなりステージに呼ばれベースを弾いたこと(客に野次られ、木村さんがその客に文句を言ってくれた)、オレがソロになってのTVKのイベントでジョイントできた事、まだまだ想い出はいくらでもある。
でも本当に強烈なのは、まだ親しくなる前、ジュンスカで初めての渋谷公会堂をやる前の日に行った大宮フリークスだ。
おれはデビューもして、人気もそこそこあって、いくらか優越感で見に行ったはずそのライブがあまりにもよくて、強烈で、感動したのだ。そしてコンサートが終わって隣をみると40代ぐらいの男の人が「ちくしょう!」って泣いていた。それは「なんでこんなにいい音楽ができるんだ」という感動からだろう。おれは「40年も生きてきた男を泣かせる事ができるなんて.......」って思ったとたん、涙が止まらなくなって声をだして泣いてしまった。「オレにもこんな風に男を泣かせるだけの音楽が作れるのか」って真剣に考えた。そこからおれは「音楽=遊び」から「音楽=仕事」ってなっていって、それを追い求めていく過程でバンドを辞めたんだと思う。
できれば彼らのようにずっと一つのバンドでツアーをしながら年をとっていきたかった。高校生の時に見た彼らは僕がバンドを辞めても続いてたし、ジュンスカが解散してもまだ続いてた。とてもかなわないと思った。このままいけば間違いなく「人間国宝」や「文化功労賞」をもらう初めてのバンドになってただろう。最近は滅多に会えなくなってたど、オレの精神的支柱だったのだ、憂歌団は。だから今はまだとりとめのない精神状態でこれを書いてる。
「いいものはいい」だけじゃやっていけないこの腐った日本の音楽業界。
だからいつまでたっても邦楽はガキのもので「文化」にならないのだ。20才の時に行ったシカゴではブルーグラスの巨人、ビルモンロー(当時で80才以上!最近他界)が、大きな自分の名前の書いたバスでツアーにきて、小さな小屋でライブをしてた。アメリカは「いいものはいい」モノが残っていける国。だから「カントリー」も「ジャズ」も「ブルース」も『文化』になるんだ。きっと「ヘビメタ」だってヨボヨボのじいさんになってもやるバンドの人達も出てくるはず。この国は「新しいか、古いか」だけ。「みんが眉毛剃って、細くするから私も........」そんなモノだ。
もう福山のような田舎の楽器屋にきてライブをやってくれるような人達はどんどん少なくなっていくんだろうな。絶対数は確かに少ないけど、オレみたいに人生を変えるほどの奴だってまだまだいるはずなのに....。
せっかく今ゆずやネプチューンなんかをやってるわけだから、オレは彼らを聴いてる若い人達にも素晴らしい「ホンモノ」の音楽をやってきたミュージシャンを伝えていくのも使命なのかもしれない。